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大東亜戦争ニュース・2016/6~1
シナ共産党の嘘がバレルぞ
2016・7・7 時事通信 
中国外相、「歴史逆行」に反対=盧溝橋79年、行事は控えめ

「記事内容」
日中戦争の発端となった盧溝橋事件から79年となった7日、中国の王毅外相は「歴史を逆行させようとする言動を阻止しなければならない」と述べ、歴史問題で日本をけん制した。
北京を訪れた潘基文国連事務総長と会談した際の発言として、中国外務省が発表した。
王外相は「(中国は)最終的に抗日戦争で全面勝利を収め、国連設立の基礎をつくった」と強調。
さらに、「当時、中国は朝鮮民族の独立を支持した」と語り、韓国人の潘事務総長に対し、歴史問題で認識を共有しているとアピールした。
一方、北京市郊外の盧溝橋にある中国人民抗日戦争記念館では記念行事が開催され、国営新華社通信によると、北京市トップの郭金竜・同市共産党委員会書記ら約500人が参加した。
昨年は「反ファシズム戦争勝利70周年」に当たったため、習近平国家主席ら最高指導部メンバーが記念館を訪れた。
今年は節目の年ではなく、日本と歴史問題で激しく対立する状況でもないことから、習主席らは行事の出席を見送ったとみられる。
中国メディアも記念日を大きく報じなかった。 
資源さえあれば・・・
2016・6・25 ZAKZAKby夕刊フジ 井上和彦 必読記事  
【世界最強だった日本軍航空部隊】勇戦敢闘し続けた撃墜王“剣部隊” 歴戦の勇士が作り上げた航空自衛隊
「記事抜粋」
     ★(4)
先の戦争末期、米軍の心胆を寒からしめる大戦果を挙げた日本海軍の最精強航空部隊があったことを、どれだけの日本人が知っているだろうか。
敗色濃厚の1944年12月、源田実大佐は「本土防空戦の切り札」として、凄腕のエース・パイロット(撃墜王)をかき集め、当時、海軍最新鋭で最強だった戦闘機「紫電改」で編成された“超精鋭部隊”の創設に踏み切った。
第343海軍航空隊、通称「剣部隊」である。
源田氏自らが司令を務め、飛行長には、真珠湾攻撃やミッドウェー海戦を経験した志賀淑雄少佐を据えた。
隷下部隊には、鴛淵孝大尉を隊長とする第701飛行隊と、林喜重大尉率いる第407飛行隊、菅野直大尉率いる第301飛行隊の、3個戦闘飛行隊(計48機)が置かれた。
集められた撃墜王は、「120機撃墜」の杉田庄一上飛曹をはじめ、ラバウル航空隊で大活躍した宮崎勇少尉と本田稔兵曹、支那事変から戦い続けた松場秋夫中尉と坂井三郎中尉などだ。
「空の宮本武蔵」と呼ばれた武藤金義少尉も後に加わるなど、まさにオールスターチームだった。
そして、343航空隊は45年3月、松山上空での空中戦で、撃墜57機(=グラマンF6FヘルキャットとチャンスボードF4Uコルセアを53機、カーチスSB2Cヘルダイバーを4機)という大戦果を上げた。
未帰還機は13機だった。
この知らせに、本土空襲などで意気消沈していた日本国民は歓喜した。
その後、343航空隊は沖縄方面に出撃する特攻機の直掩任務(=敵の攻撃から特攻機を守る任務)を引き受け、B29爆撃機の迎撃でも大活躍した。
「紫電改」は対B29でも圧倒的強さを誇っていたのである。
事実、45年5月4日から11日までの戦闘では、B29を9機撃墜しながら、「紫電改」の損害はわずかに1機だった。
同年7月にはポツダム宣言が発表されるなど、戦況は覆しようのない劣勢だったが、343航空隊は寄せ来る米軍機を堂々迎え撃ち、勇戦敢闘し続けたのだった。
45年3月19日の初陣から終戦までに、第343航空隊が挙げた撃墜スコアは、B29を含む170機。
海軍きってのエリート戦闘機部隊は、最後の最後まで米軍機を圧倒し続けた。
戦後、冒頭の源田氏をはじめ、山田良市大尉や本田実少尉などの歴戦の勇士らは、航空自衛隊で再び本土防空を担った。
源田氏は第3代航空幕僚長を務め、山田氏は第15代航空幕僚長だった。
現在の航空自衛隊は、帝国陸海軍航空部隊の歴戦の勇士が作り上げた防空組織なのである。
日本の資源は創意工夫を重ねる民
2016・6・23 ZAKZAKby夕刊フジ (1/2ページ)
【世界最強だった日本軍航空部隊】B29爆撃機を485機も撃墜した本土防空部隊
「記事抜粋」
     ★(3)
1942年4月に新たに編成された日本陸軍「飛行第244戦隊」は、東京・調布基地を拠点に帝都防空戦に大活躍した精鋭部隊である。
保有機は40機の三式戦闘機「飛燕(ひえん)」だった。
この部隊に44年11月、24歳の小林照彦大尉が戦隊長として着任した。
小林氏は後に、B29爆撃機10機を含む、敵機12機を撃墜した「本土防空戦のエース」となる。
同隊は翌12月、B29の大編隊を迎え撃ち、6機撃墜・2機撃破の大戦果を上げた。
このとき、四宮徹中尉は、B29への体当たり攻撃で片翼をもぎ取られながらも無事帰還した。
中野松美伍長は、B29の真上に張り付く“馬乗り”の姿勢で、B29の胴体をプロペラで切り裂いて撃墜し、生還した。
板垣政雄伍長も、最後尾を飛んでいたB29に体当たりして帰還した。
この日の武勲により、空対空特別攻撃隊は「震天制空隊」と命名された。
その名の通り、B29の乗員を恐怖に陥れる一方、日本国民の戦意を高揚させた。
中略
戦争末期の日本は、7000~9000メートルの高高度を大挙して押し寄せるB29に手も足も出せなかった-という話が横行しているが、そうではなかったのだ。
帝都上空では、飛行第244戦隊が立ちはだかった。
戦後、前出の小林氏や、専任飛行隊長の竹田五郎大尉、B29を5機撃墜・7機撃破した撃墜王、生野文介大尉など、本土防空戦に活躍した面々は、航空自衛隊でも本土防空を担った。
ちなみに、竹田氏は1976年9月、ソ連のベレンコ中尉が亡命を求めてミグ25で函館空港に飛来したときの北部航空方面隊司令官だった。
このとき的確に対処できたのは、かつての本土防空戦の経験からだろう。
竹田氏はその後 第14代航空幕僚長となり、さらに自衛隊制服組のトップとなる第12代統合幕僚会議議長を務めている。
戦後の日本の空も、飛行第244戦隊の精鋭によって守られていたのであった。
世界に誇れる大日本帝国軍
2016・6・22 ZAKZAKby夕刊フジ (1/2ページ)
【世界最強だった日本軍航空部隊】英艦隊壊滅後にみせた日本海軍航空隊の“武士道” 現場海域上空から花束投下
「記事抜粋」
     ★(2)
  《私は独(ひと)りであることに感謝した。戦争の全期間を通じて、これほどの強い衝撃を受けたことはなかった》
英国のチャーチル元首相は戦後、著書『第二次世界大戦回顧録』で、マレー沖海戦の大敗北をこう回想している。
1941年12月10日、英戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と「レパルス」は、マレー半島東岸のクワンタン沖で、日本海軍航空隊85機によって撃沈された。
英東洋艦隊は開戦3日目で壊滅したのである。
この海戦に世界中が震撼(しんかん)したのは、世界で初めて航空機が高速航行中の戦艦を沈めたからだった。
米国は3日前に自ら体験した“真珠湾の悪夢”が、単なる偶然や奇跡でないことを思い知らされた。
マレー沖海戦は、日本海軍のパーフェクト・ゲームだった。
中略
この一戦には知られざる美談がある。
日本海軍航空隊の猛攻を受け、洋上のたいまつと化した「レパルス」に、駆逐艦「バンパイア」と「エレクトラ」が生存者救出のために急行した。
他国軍ならば、この駆逐艦も沈めるが、日本軍はそうではなかった。
日本軍機は、英駆逐艦に以下のように打電した。
  「ワレの任務は完了せり。救助活動を続行されたし!」
次なる標的となった「プリンス・オブ・ウェールズ」が炎に包まれ、駆逐艦「エクスプレス」が生存者救助のため横付けしたときも、日本軍機は攻撃を止めて、その救助活動を助けたのだった。
日本軍人が苛烈な戦場で見せた“武士道”だった。
この正々堂々たる姿勢は、英海軍将兵を感動させた。
海戦後、1機の日本軍機が現場海域に飛来し、海上に2つの花束を投下して飛び去った。
散華した僚機3機の乗員と、最期まで勇敢に戦った英海軍将兵と戦艦2隻に手向けられたものだった。
日本海軍航空部隊は、卓越した技量だけでなく、戦場での紳士度も世界一だったのである。
 
※美談は多い。
大日本帝国は敗戦後、嘘でアメリカから貶められたが、世界で稀な素晴らしい大日本帝国であった。
涙が出るいい話であり、日本人として大日本帝国軍を誇りに思う
アメリカ人に正義の心は無い
2016・6・21 産経WEST (1/2ページ)
米国人の本音「原爆に誇り」…日本の外交「理不尽には毅然と」 高山正之氏講演
「記事内容」
日本会議広島の広島中央支部(肥後正徳支部長)は19日、産経新聞記者としてテヘラン支局長やロサンゼルス支局長などを務めたジャーナリストの高山正之氏を招き、広島市中区八丁堀の広島YMCA国際文化センターで講演会を開いた。
  連勝していた日本をたたきつぶした象徴と分析
高山氏は「アメリカ人にとっての広島の意味~オバマ大統領来広を機に」と題して講演。
広島と長崎に投下した原爆について多くの米国人は、白人国家の覇権に挑戦し、連勝していた日本をたたきつぶした象徴ととらえ、本音では誇りとしているとの分析を、米国の政治家らの発言や行動で例証した。
講演では、「原爆投下は戦争を早期に終結させるため、やむを得なかった」などとする米国の公式見解を紹介した上で、広島と長崎への原爆投下が当時の米国側の資料で「実験」とされていることや、広島に原爆を投下したB29爆撃機「エノラ・ゲイ」が首都のワシントンDCにあるスミソニアン博物館に堂々と展示されていること、初の核爆発実験が行われたニューメキシコ州のトリニティ実験場が国定史跡になっていることなどを指摘。
米国にとって「罪の意識はまったくない」と結論づけた。
  根拠のない「日本軍のためにアジアの人々が1日数万人単位で死んでいく」説
米国がその一方で、「戦争を早期に終結させなければ、日本軍のためにアジアの人々が1日数万人単位で死んでいく」と根拠のない説で原爆の正当性を強化しようとしていたことなども紹介。
大東亜戦争についても、日本側が開戦を決意しなければならなくなるよう追い詰めていった経緯に触れ、国家戦略を実現させるための米国の「ずるさ」を強調した。
その上で、外交にしたたかさが求められるのは日本を除く世界の常識であることを踏まえて、米国が「どんな根性」なのかを知る必要があり、理不尽なことには毅然と対応しなければならないが、むやみに嫌うべきではないとの考えを示した。
 
※大東亜戦争の日米戦に於いて、大日本帝国軍兵士の捕虜が際立って少ない
理由がある。
大日本帝国軍兵士は徹底抗戦をした事もあるだろうが、
アメリカ軍は大日本帝国軍兵士を捕虜にせず、無慈悲に皆殺しを図ったのである
いい例がユーチューブに動画が上がっている。
海面に浮かぶ一人の大日本帝国軍兵士が映っている
アメリカ軍兵士が艦船上で、救助をしようともせず、
見下ろし嘲笑いながらいとも簡単に射殺した
大日本帝国兵士は海の藻屑と化したのである。
大東亜戦争に於いて大日本帝国軍が敵国兵にこんな無慈悲な仕打ちをしただろうか? 大日本帝国軍は多くの美談が残されている。
日本人はアメリカ人の無慈悲な蛮行を決して忘れてはならない。
この映像はアメリカ人が鬼畜と言われた証拠映像だが、沖縄戦で敗戦を悟った多くの女性が日本人の誇りを胸に抱きつつ。岬の先端から海に飛び込んだのである
根は反日国
2016・6・20 産経ニュース (1/4ページ) 杉田水脈 【杉田水脈のなでしこリポート(7)】
親日から親中に…オーストラリアの危うい現状を憂えています(その3) 空爆記念式典にも変化が…

「記事抜粋」
  ダーウィン空爆記念式典のある「変化」
1942年2月19日、日本軍は真珠湾を攻撃した同じ艦隊でオーストラリア北部の軍港ダーウィン港を攻撃しました。
攻撃は1942年から43年にかけて64回にわたりました。
最初の攻撃でのオーストラリア側の被害者が243名ということはよく知られていますが、これは初日の2回の攻撃による被害で、それ以降の攻撃で合計1500名以上の方が亡くなっています。
また、日本側の犠牲者もパイロットら空爆時に亡くなった方が400~500名おり、ダーウィン空爆1か月前には伊124号が撃沈され、乗組員80名余りが亡くなりました。
このように多くの日本人戦没者がダーウィン港の海に眠っていることは、日本ではあまり知られていません。
中略
かつて日本人は「ダーウィン港を攻撃した国の出身」という気まずさから出席しない人も多かったのですが、最近は日本人の参加者も増えてきました。
とりわけ日豪のカップルが「自分たちの子供たちが両親の母国の犠牲者を慰霊する機会になれば」と願って参加するようになっています。
このように順調に日豪の和解が進んでいたのですが、今年の空爆式典は少し違いました。
ジャイルズ首席大臣はスピーチで「人々の肌は皮がむけ、市民が焼き殺され」というフレーズを使って、生々しい空爆時の被害の様子を描写したのです。
式典に何度も参加されてきた方は「こんな生々しく、かつ未来につながらないスピーチは初めてで、いたたまれない気持ちになった」と語っていました。
つづく
  ガーデンアイランドでの慰霊
さて、今回のオーストラリア視察の最大の目的は、1942年(昭和17年)5月、シドニー湾攻撃の際に、特殊潜航艇「甲標的」艇長として散華された松尾敬宇中佐をはじめとするご英霊の方々の慰霊にありました。
このシドニー湾攻撃により、オーストラリア海軍の宿泊艦クッタブルが沈没し、19名の戦死者が出ています。
オーストラリア海軍は大きな痛手を負ったわけです。
にもかかわらず、松尾中佐らの潜水艦は引き揚げられ、イギリス海軍から派遣されていたシドニー要港司令官のジェラード・ミュアヘッド=グールド海軍少将は、乗組員4名(松尾大尉・中馬大尉・大森一曹・都竹二曹)の海軍葬を営み、その後遺骨も日本へ返還されました。
当然、オーストラリア国民の一部から非難の声が上がりましたが、グールド少将はひるみませんでした。
彼は葬儀後のラジオ放送で次のように語っています。
  「このような鋼鉄の棺桶で出撃するためには、最高度の勇気が必要であるに違いない。これらの人たちは最高の愛国者であった。我々のうちの幾人が、これらの人たちが払った犠牲の1千分の1のそれを払う覚悟をしているだろうか」
  「戦死した日本軍の勇士の葬儀を我が海軍葬で行うという私に、非難が集中していることは承知している。けれど私は、あえてこの葬儀を実行する。なぜなら、もし我が国の兵士が彼らのように勇敢な死を遂げた場合、彼らにもまた、同様の名誉ある処遇を受けさせたいためである…」
装甲の薄い小型の特殊潜航艇で港内深くまで潜入し、敵に発見されるや投降することなしに自沈する松尾大尉らの勇敢さに対し、同じ軍人として崇高な精神を共有していたのでしょう。
「愛国心」は全世界共通です。愛国心の強い人間はたとえ敵国の者であったとしても尊敬の念を持って迎えられるのです。
今の日本人が忘れかけているものを思い出させてくれる逸話であります。
我々は、フェリーに乗り、ガーデンアイランドへ渡りました。
大勢の中国人観光客と一緒に上陸しましたが、現地係員の方々は私たち一行が日本人だとわかるととても親切に接してくれました。
  「私たちは松尾中佐たちの慰霊がしたいのです」。
そう説明すると「ここがいいですよ。」と教えてくださいました。
そこで私たちは岸壁に旭日旗を掲げ、「海ゆかば」「君が代」を斉唱し、靖国神社のお神酒をお供えしたのでした。
     ×     ×     ×
「なでしこリポート」では3回にわたり、オーストラリアの現状をお伝えしてきました。
最後にオーストラリアが海軍葬を行ったエピソードを紹介しましたが、その後も合同慰霊祭が続いているなど日豪両国は良好な関係を続けてきました。
にもかかわらず、ここに来て日豪関係に黄色信号が灯っています。
このことを真剣に受け止め、今後の動きを注視していきたいと思います。
 
※でも感謝
オーストラリアは白人流刑者の国、建国はアメリカと酷似、白人流刑者は数千万人とも言われる大量の先住民を虐殺した人々の末裔、日本人とはまるで違う負の歴史を持ち広大な大地を誇り資源があるが所詮、小さな国である。
嘘つきシナ人が入り込み影響力を行使、反日に変えるのは簡単であろう
溥儀・満洲国最後の皇帝
2016・6・17 朝日新聞 編集委員・永井靖二
ラストエンペラー、極秘の護送 旧ソ連軍将校が記録
「記事抜粋」
ラストエンペラーこと旧満州国皇帝の溥儀(1906~67)は敗戦直後の45年8月、奉天(現・瀋陽)郊外で旧ソ連軍に拘束され、数カ月間、シベリア南部のチタで軟禁された。
拘束からチタまでの護送ルートは不明だったが、日蒙共同調査団が5月、護送責任者だったソ連軍政治将校が経由地をびっしりと裏書きした1枚の写真を確認した。
モンゴル東部のソ連軍巨大基地を経て、行き先をモスクワから途中でチタへと変更した機密行動だった。
調査団長の岡崎久弥さん(53)は「戦後処理をめぐる連合国間の主導権争いのなか、ソ連が重要カードとなる溥儀の身柄をひそかに護送する緊迫した様子が浮かび、興味深い」と話す。
溥儀は満州国の崩壊直後、日本へ亡命する途中の45年8月19日に奉天郊外の空港でソ連軍に拘束された。
50年までシベリア南部のチタや極東ハバロフスクで軟禁された。
ノモンハン戦跡やソ連の巨大基地を調べてきた日蒙共同調査団は今年5月、基地に駐屯した元兵士らに聞き取り調査し、朝日新聞と朝日放送が同行取材した。
調査の過程で、対日侵攻の主力として満州へ進軍し、溥儀の護送を担当したソ連第6親衛戦車軍の政治将校ジェルバコフ少尉を探した。
少尉は2015年9月に死去していたが、モスクワ郊外に住む長女タチアナさん(67)が遺品を保管。
その中に溥儀を尋問する写真があり、裏面に少尉の筆跡で護送ルートが詳しく記されていた。
記述によれば、溥儀を乗せた輸送機は45年8月19日に奉天から内モンゴルの通遼へ飛行。翌20日に「タムツァグブラク」経由でチタに着いた。タムツァグブラクは昨年までに調査団が確認した三つの巨大基地の一つ、タムスク基地の現地呼称で、第6親衛戦車軍の臨時参謀本部があった。
少尉が生前に残した手記と記録を突き合わせたタチアナさんによれば、溥儀と少尉らはタムスク基地で輸送機を乗り換えた。
イルクーツク経由でモスクワへ向かう予定だったが、機中で急にチタへ向かうよう変更命令を受けた。
米国や蔣介石率いる中華民国の目を警戒したとみられる。
溥儀は、チタから南へ約15キロにある軍のサナトリウム(療養所)に軟禁された1年後、東京で開かれた極東国際軍事裁判に、ソ連の主導で証人として出廷。
50年に中華人民共和国に引き渡された後は撫順戦犯管理所へ収容され、59年に模範囚として釈放された。
タチアナさんは「最高レベルの機密として実行された護送だったと父から聞いた。国家から『敵』とされながら、父は溥儀に悪い感情は持っておらず、厳しい境遇に同情していた」と話した。
     ◇
モンゴル東部に残る旧ソ連軍の巨大基地に駐屯した元兵士らの証言を追う「テレメンタリー2016 満州侵攻 71年目の真実」は今月19日から下旬にかけて(関西地区は26日午前5時20分から)、テレビ朝日系列で放映される。
 
※マタマタ捏造やらかすのか? 
2016・6・15 ユーチューブ 
高山正之『変見の作りかた』#46 マニラの10万人
「コメント」
高山正之『変見の作りかた』#46 マニラの10万人
監修・出演:高山正之
時間:13分
収録:2015年8月
第46回「マニラの10万人」(週刊新潮 2015年4月2日号)
  「日本軍はマニラで10万人を虐殺した」 フィリピン人作家 ショニール・ホセによる嘘の話が、朝日新聞に始まりAP電やジャパンタイムズで一斉報道された。
東京大空襲70周年に合わせるかのように報道されたその狙いとは・・・
2016・6・13 産経ニュース (1/9ページ) 【国会議員に読ませたい敗戦秘話】
凄惨極めた沖縄戦 
ひめゆり学徒隊に女性教師が差し出した紙片には…
「記事抜粋」
この記事は「国会議員に読ませたい敗戦秘話」(産経新聞出版)から抜粋しました。
ネットでの購入はこちらへ。
     ◇
梅雨の蒸し暑さに加え、死臭や汚物臭が漂う暗い壕の中で無数の人がうごめいていた。
  「水、水を」  「おしっこ、おしっこ…」
戦闘で負傷し、手足を切断した負傷兵たちはうめき声を上げながら、18歳だった島袋とみのモンペの裾をつかんだ。
  「とにかく今を必死で生きなければ」。
島袋は自分にそう言い聞かせながら介護を続けた。
沖縄師範学校女子部本科に通っていた島袋が「ひめゆり学徒隊」として那覇市東南5キロにある南風原陸軍病院第一外科7号壕に配属されたのは、卒業を目前に控えた1945年3月23日夜。
米軍が慶良間(けらま)諸島などを空襲し、沖縄侵攻を始めた日だった。
病院といっても丘陵地に横穴を掘った壕や、ガマと呼ばれる自然の洞窟に寝床を作っただけ。
軍医や看護婦、衛生兵は約350人。
ここに島袋ら15~19歳の女学生222人が教師18人に引率されて看護補助要員として動員された。
  「兵隊さんの声を子守歌だと思いなさい」。
看護婦にこう言われながら、島袋らは負傷兵の食事や下の世話に追われた。
つづく
  沖縄は本土防衛の捨て石にされたのか?
中略
  「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」
  なぜ民間被害が拡大したのか?
東京大空襲や広島・長崎の原爆投下など、米軍による一方的な殺戮はともかく、先の大戦中の日本軍による戦闘で、沖縄戦ほど多数の民間人が巻き込まれた例はない。
なぜこれほど被害が拡大したのか。
一つは本土や台湾への疎開が思ったように進まなかったことがある。
1944年7月7日、東条英機内閣はサイパン陥落を受け、米軍の侵攻に備え、沖縄本島など南西諸島の老幼婦女子、学童の集団疎開を閣議決定した。
だが、沖縄周辺の制海権は失われつつあった。
8月22日には那覇国民学校の児童らを乗せ、那覇から長崎に向け出航した輸送船「対馬丸」が、米潜水艦の魚雷で沈められ、1400人以上が犠牲になった。
つづく
  あの時誰かが国を守らねば、国は残っていたかね?
中略
戦後は「軍隊はすべて悪い」という風潮が広がったが、仲本はこう語る。
  「確かに戦争で散々な目にあったけど戦中も戦後も多くの人に助けられたからね。若い者は国を守らなければならなかった。誰だって楽で幸せな人生を望むさ。でも靖国神社に祀られている人は、誰かが国を守らなければならないときの、その誰かだった。あの時そうしていなかったら国は残っていたかね?」
横でとみがうなずいた。
  「当時はみんな『お国のために』と信じていた。だからこそ、ひめゆり学徒隊で亡くなった友達の姿や気持ちを忘れてはならないと思います」
 
※大日本帝国国民は皆、国を思い愛していたハズ、この国民が大日本帝国軍と共に鬼畜アメリカ軍と国を賭けて戦った戦争が大東亜戦争である
日本人よ、史実を学べ! 白人の残虐非道を知れ! 
大日本帝国が悪者にされるゆわれは全く無い
日本は東京国際軍事裁判とGHQにより
多くの嘘が定着させられた。
この嘘を根付かせたのが自民党や共産党、社会党の政治家や左翼メディア、日教組である。
反日左翼のプロパガンダの犠牲になったのが沖縄県民であり、自称アイヌ民族、同和に所属する人々であろう。
昔、ひめゆりの塔に行ったことがある。
戦跡と言うより、政治活動の最前線の雰囲気を感じ、来るべきでは無かったと、嫌悪感さえ抱き、そそくさと場を後にした事を想い出す。
本来、ひめゆり学徒隊を讃えるだけでいいと思うのだが・・・
沖縄左翼は
苦労しながらも心気高く崇高な思いを抱きつつ散った彼女等の思いを汚している気がしてならない。
反日ドイツ・日本人よ、歴史に学べ
2016・6・6 産経ニュース (1/6ページ) 【野口裕之の軍事情勢】  重要記事 必見
ドイツは日独伊三国同盟締結後も密かに中国を支援し続けた その「裏切りのDNA」は今もなお…
「記事抜粋」
伊勢志摩サミット(主要国首脳会議)に参加したG7(先進7カ国)は、東シナ海や南シナ海における中国の海洋侵出に対する厳しい現状認識を共有し、首脳宣言に盛り込んだ。
中国をカネのなる木としか見られず、凶暴性を実感できない欧州にしては上出来で、まずはめでたい。
しかし、三重県鳥羽市のミキモト真珠島で、安倍晋三首相(61)の昭恵夫人(53)や他の首脳夫人とともに、ドイツのアンゲラ・メルケル首相(61)の夫君も体験した真珠の取り出しなど、サミットに伴うイベントで「不信の歴史」が唐突によみがえった。
ドイツの「対中脅威認識深度」には今後も観察が不可欠だと、直感させられた。
欧米の悪癖「中国へのえこひいき」の源流は近代にさかのぼる。
特に“ドイツと真珠の取り合わせ”にはドキリとさせられる。
その昔、「東洋の真珠」と呼ばれた、ドイツに縁の深い中国の都市が存在した。
ドイツが清国から租借した青島だ。
第1次世界大戦(1914~18年)開始直後、大日本帝國はドイツに山東省・膠州湾租借地の中国返還を最後通告、最終期限を待って宣戦布告した。
ドイツ降伏で中心都市・青島は日本統治となり、ドイツの一大権益は吹っ飛んだ。
以来、日本に恨みを抱くドイツの中国への肩入れは続き、1940年に日独伊三国同盟を樹立後も「中国支援」を密かに貫く。
同盟関係を裏切るドイツのDNAを、中国は見逃さない。
中国の習近平国家主席(63)は、日本も念頭に「中徳(独)合作」を21世紀に復活させるもくろみのようだ。
  新「中独合作」の序曲=大陸横断鉄道  
  
18世紀以来の国家的課題=中独軍事貿易
中略
繰り返しになるが、第1次大戦開始直後、日本はドイツに膠州湾租借地の中国返還を最後通告、最終期限1914年8月23日に宣戦布告した。
ドイツ降伏で「東洋の真珠/小ベルリン」と称された青島は日本統治となり、ドイツの一大権益は吹っ飛ぶ。
ドイツの“日本嫌い”は「青島の恨み」を起点としている、と思っている。
  中国軍の近代化に手を貸したドイツ軍
清国同様に対日戦略上、軍近代化を迫られた中国・国民党は満州事変(1931~33年)後、独ワイマール共和国や続くナチス政権に接近。
軍事用鉱物資源獲得の狙いもあり結局、ドイツは1927~38年まで軍事顧問団を送り続けた。 
とりわけ、1934年より1年間団長を務めたハンス・フォン・ゼークト退役陸軍上級大将(1866~1936年)は、第1次大戦で壊滅状態に陥ったドイツ軍の再建と将来(電撃)戦への青写真を確立した「ドイツ軍の頭脳」と畏敬された人物であった。
国民党の蒋介石前国民政府主席(当時/1887~1975年)に、大規模・低練度だった国民党軍の装備や機動性の向上を具申した。
後継団長アレクサンドル・フォン・ファルケンハウゼン退役陸軍中将(後に歩兵科大将に現役復帰/1878~1966年)も路線を踏襲し、ドイツ式教育訓練を続けた。
方針に沿い、8割が非近代兵器だった国民党軍に鉄帽/小銃/各種大砲をはじめ戦車や戦闘機まで輸出。
ドイツで教育した中国人技術者運営の各種工廠では双眼鏡/狙撃銃用照準/小銃/機関銃/迫撃砲/装甲偵察車両/大砲/ガスマスクを生産した。
毒ガス製造施設建設こそ中止されたが、化学研究所はドイツ企業の支援で完成した。
既述したが、国民党軍の軍装がドイツ軍ソックリなのは当然といえた。
  日本軍を苦しめたドイツ軍顧問団
折しも、国民党軍による攻撃に日本軍が応じ第2次上海事変(1937年)が勃発するや、ファルケンハウゼンは蒋に消耗・ゲリラ戦に持ち込み大日本帝國陸海軍を疲弊させる作戦を進言。
上海西方に構築した塹壕とトーチカによる要塞線=ゼークト線に日本軍をおびき寄せんとした。
日本軍は圧勝したが損害は予想外に大きかった。
軍事資源を産む鉱山・工業地帯と沿岸を結ぶ鉄道敷設でも中独は利害が一致。
ドイツ技術を投じた貴陽~南昌~杭州や漢口(現在の武漢)~広州路線は、軍用としても日本軍を悩ませる。
だが、ドイツ総統アドルフ・ヒトラー(1889~1945年)の政策転換で「中独合作」はやっと変質する。
とはいえ「青島の恨み」はゾッとするほど根深い。
1936年に(対ソ)日独防共協定を結びながら、対中武器輸出を密かに継続。密輸は、37年の中ソ不可侵条約で態度を硬化させたヒトラーが新たな兵器輸出を禁じるまで続く。
それでも受注済み兵器は契約通り輸出され、完全な禁輸・顧問団撤退はドイツが満州国を承認した38年。
国民政府と断交、“親日”の汪兆銘政権(1940~1945年)を認めたのは、何と日独伊三国同盟締結から1年近くもたった41年になってだった。
  唖然とするメルケル独首相の対中認識
サミットで、欧州が中国への警戒心を示したかに見える背景には、安倍首相と欧州各国首脳との事前個別会談が横たわる。
5月の日独首脳会談でメルケル首相は自身の地元に設立された《孔子学院》について不満を漏らした。
いわく-
  「孔子を学ぶ施設ではなかった」
つづく
  
日本の頭ごなしの対中武器禁輸解禁を警戒せよ
前略
天安門事件(1989年)を契機にEU(欧州連合)は対中武器禁輸を続けているが、日本の頭ごなしに解禁する悪夢は絶対に阻止せねばならない。
無知過ぎる
2016・5・30 時事通信
トランプ氏、広島訪問で批判投稿
「記事内容」
米実業家ドナルド・トランプ氏は28日、オバマ大統領の広島訪問に関連し、ツイッターに「大統領は日本にいる間に真珠湾奇襲について議論したのか。何千人もの米国人の命が失われた」と投稿した。
 
※もっと勉強しろよ! ABCD包囲網が事実上、アメリカの大日本帝国への宣戦布告である。
戦争犯罪人=チャーチル・ルーズベルト・トルーマン・二種類の原爆立案者
2016・5・28 産経ニュース (1/3ページ) ワシントン駐在客員特派員 【古森義久の緯度経度】
「後悔も罪悪感もない」米の原爆投下「正当化」論は消滅しない…投下作戦に加わった米軍人との議論
「記事抜粋」
チャールズ・スウィーニー氏は、広島と長崎の両方への原爆投下作戦に加わった唯一の米軍人として知られた。
広島の作戦では原爆投下機に密着する気象観測機の機長だった。
長崎では原爆投下機そのものの機長を務めた。
当時は米陸軍航空隊の少佐、すでにベテランのパイロットだった。
戦後は米空軍勤務となり、少将にまで昇進した。
私はそのスウィーニー氏と米国CNNテレビの討論番組で議論したことがある。
1994年12月、「クロスファイア(十字砲火)」という番組だった。
テーマはずばり「広島、長崎への原爆投下は必要だったのか」だった。
一方、オバマ大統領は27日、現職の米国大統領として初めて広島を訪れた。
予測どおり同大統領は原爆投下の是非には触れなかった。
だが米国大統領の広島来訪の意義を今後考える上でも、日本側としてはこの是非論に背を向けることはできないだろう。
米側ではこのテレビ討論が22年も前に催された事実が示すように、原爆投下の適否は長く広く論じられてきた。
中略
そのスウィーニー氏も終戦直後に長崎市を訪れ、破壊の惨状をみて、「どれほどの人間の命が奪われたかを考えて悲しみに襲われた」と回顧していた。
このテレビ番組の後に出した自書「米国の最後の原爆作戦の目撃証言」(日本語版は「私はヒロシマ、ナガサキに原爆を投下した」)での述懐だった。
だが同氏は自分自身の爆撃任務については「後悔も罪悪感もない」として、日本側の「軍国主義文化」を非難していた。
同氏のこうした言葉が象徴する米国側の思考や心情と日本側の受け止め方との差異は、オバマ大統領の広島訪問でも消えはしない。
だが、その訪問は相手側の実情のより深い認識による、より健全でより緊密な日米関係の未来への歴史的な前進となることを期待したい。
 
※原爆投下に関わった機長と言えども軍人、最高指揮官の命令に従うのみ、軍人は作戦を遂行するのみ、これに反省や自戒を問うのには無理がある。
「後悔も罪悪感もない」は至極当然である。
大東亜戦争の責任は、日本を
廃除に向け作戦を建てたチャーチル真珠湾攻撃に導いたルーズベルト原爆を投下させたトルーマンである。
広島と長崎で
二種類の原爆による人体実験を立案した人物も戦争犯罪人としていいだろう。
黄色で優秀な大和民族を超えられなかった愚かなアメリカの戦争犯罪
2016・5・25 産経ニュース (1/2ページ) ロサンゼルス 中村将 Ian Toll 【オバマ広島訪問】
「原爆投下と違う選択肢あった」米歴史家イアン・トール氏に聞く
記事抜粋」
オバマ米大統領が27日、広島を訪問する。
原爆投下は必要だったのか。
太平洋戦争を日米両国の立場から描いた「太平洋の試練」シリーズの著者で歴史家のイアン・トール氏に聞いた。
     ◇
原爆投下は、多くの米国人の命、そしておそらく多くの日本人の命も救うために、必要だったと多くのアメリカ人は信じている。
それに反する史観は、米国では、左翼的な修正主義史観であるというレッテル貼りが行われている。
だが、そうだろうか。
史料から考える歴史家たちはむしろ違う結論を導き出そうとしている。
私もそのひとりである。
機密解除されてきた米国政府の当時の史料は、違う選択肢もあったことを示している。
例えば、原爆投下の翌日、マッカーサー(連合国軍最高司令官)を運んだ飛行機のパイロットの日記には、「マッカーサーはあきらかにこのフランケンシュタインの登場に、困惑し落ち込んでいた」と記されているし、「ジャップを殺せ」と太平洋の戦いを指揮した南太平洋部隊司令長官のハルゼーですら戦後、「原爆投下はあやまちであった」と結論づけている。
中略
しかし、私たちは、史実に対して、何が起こったかについて、思考停止に陥ることなく、事実を基に考えていく必要がある。
原爆投下は必要だったのか-と。(談)
  【プロフィル】Ian Toll
1967年生まれ。
ジョージタウン大学卒、ハーバード大学ケネディ行政大学院公共政策学修士課程修了。
著書に「太平洋の試練 真珠湾からミッドウェイまで」「太平洋の試練 ガダルカナルからサイパン陥落まで」など。
 
※今後研究が進むにつれ新事実が明らかになるだろう
原爆投下は戦争犯罪
2016・5・23 産経ニュース (1/8ページ) 【国会議員に読ませたい敗戦秘話】
広島原爆投下を眼下に見た紫電改操縦士がいた!「これは戦争じゃない。虐殺だ…」
「記事抜粋」
  この記事は全国の書店で発売中の「国会議員に読ませたい敗戦秘話」(産経新聞出版)から抜粋しました。
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  原爆は戦争ではない。虐殺だ。
1945(昭和20)年8月6日午前7時45分、22歳だった第343海軍航空隊(通称・剣部隊)少尉、本田稔は、兵庫県姫路市の川西航空機(現新明和工業)で真新しい戦闘機「紫電改」を受け取り、海軍大村基地(長崎県大村市)に向けて飛び立った。
高度5千メートル。
抜けるような青空が広がり、眼下には広島市の街並み、そして国宝・広島城が見えた。
その瞬間だった。
猛烈な衝撃にドーンと突き上げられたかと思うと紫電改は吹き飛ばされた。
操縦桿は全く利かない。
必死に機体を立て直しながら地上を見て驚いた。
  「街がない!」
広島の街が丸ごと消えていた。
傾いた電柱が6本ほど見えるだけで後はすべて瓦礫。
炎も煙もなかった。
中略
戦後、本田は航空自衛隊や三菱重工に勤め、テストパイロットとして操縦桿を握り続けた。
90歳を越えた今も広島、長崎の悲劇を忘れることはない。
そして原爆搭載機に向かって出撃できなかった無念もなお晴れることはない。
  「長崎の人たちには本当に申し訳ないと思っています。本土防衛の役目を担った私たちがあんなに近くにいたにもかかわらず…」
本田は涙をにじませ、こう続けた。
  「戦争というのは軍人と軍人の戦いのはずだ。だから原爆は戦争じゃない。非戦闘員の真上で爆発させるんですから。虐殺ですよ」
     ×     ×     ×
1945年7月26日、第33代米大統領のハリー・トルーマンは、英首相のウィンストン・チャーチル、中国国民政府主席の蒋介石と連名で、日本政府にポツダム宣言を突きつけた。
宣言は13章あるが、その趣旨は最終章に集約されている。
  「われわれは日本政府が全日本軍の即時無条件降伏を宣言し、その行動を十分保障することを求める。これ以外の選択は迅速かつ完全なる壊滅あるのみ」
これは単なる脅しではなかった。
米国は7月16日にニューメキシコ州のアラモゴード実験場で初の原爆実験を成功させた。
「完全なる壊滅」とは原爆投下を意味したのだ。
中略
そもそも日米が開戦に至る対立は満州・中国での権益争いに始まったことを考えると本末転倒だといえるが、すでに病が悪化していたルーズベルトはスターリンにまんまと乗せられた。
トルーマンは大統領就任後、金庫から出てきたヤルタ密約を見て驚愕したという。
ポーランドやドイツの統治をめぐってもソ連との対立はすでに顕在化していた。
トルーマンは「戦後のソ連との覇権争いで優位に立つには原爆しかない」と考えたとみられる。
中略
トルーマンは死ぬまで自らの行為を正当化し続けた。
58年2月、米テレビで原爆投下についてこう語った。
  「日本への上陸作戦には150万人の兵力が必要で25万人が戦死すると推定された。だから強力な新兵器を使用するのに何ら良心の呵責を感じなかった。夜もぐっすり眠れた…」
 
※白人の残虐性を示す最後のトルーマンの言葉である。
この残虐性に劣らないのがシナ人と朝鮮人である
醜い歴史捏造国家アメリカのゲスな姿
2016・5・23 毎日新聞 ハノイ西田進一郎
<米大統領広島訪問>元米兵捕虜も立ち会いへ 米政府が要請
「記事抜粋」
オバマ米大統領が27日に被爆地・広島を訪問する際、第二次世界大戦中の元米兵捕虜も立ち会うことが22日、分かった。
1942年にフィリピン・バターン半島で米兵捕虜ら多数が死亡した「バターン死の行進」の生存者らで作る「全米バターン・コレヒドール防衛兵記念協会」のジャン・トンプソン代表が明らかにした。
中略
クローリーさんは4月下旬に毎日新聞の取材に当時の生活の過酷さを説明したうえで「兵器は人を殺害するので、全ての兵器は嫌なものだ。しかし、戦争を引き起こしたのは米国ではなく、ドイツと日本だ」と述べ、戦争終結のために原爆投下はやむを得なかったとの認識を示した。
一方、「オバマ氏の広島訪問は気にしていない。私が懸念しても世界のどこにだって行ける」と語り、訪問自体には反対しない姿勢を示した。
 
※アメリカは未だに捏造した「バターン死の行進」を引き出し、日本に歴史戦を挑んでいる。
オバマも愚かな男である。
これで広島訪問を画策した
嘘つき安倍総理と反日岸田の思惑が大きく外れる事になる。
アメリカの陰謀(事実と嘘)に広島と長崎で被爆して
お亡くなりになられた方々の魂も浮かばれず、後遺症に悩む被災者は一層悲しみを深くすることだろう。
アメリカはこの場に嘘の「バターン死の行進」を持ち出し歴史の見直しを拒否したのである。
一瞬ではあるが、日米和解を夢見た己を入力しながら恥じている
原爆投下はチャーチルの人種差別による大日本帝国排除の陰謀から始まった
2016・5・20 産経ニュース 共同 【オバマ氏広島訪問】
原爆投下は「誤りだった」41% 英国では「正しかった」を上回る 米とは認識に差
「記事内容」
英世論調査会社「ユーガブ」は20日までに、英国民を対象に広島と長崎に原爆を投下した米国の判断は正しかったかを問う世論調査を実施し「誤りだった」と回答した人が41%となり、「正しかった」と答えた28%を上回ったと発表した。
米国での同様の調査では、正しいと答えた割合が45%で、誤りと答えた人の25%を上回り、英国と米国では原爆投下に対する受け止めが大きく違うことが浮き彫りになった。
ただ、英国の調査でも65歳以上の年代に限っては正しいと答えた人の割合が高かった。
核兵器の発明は良いことだったのかという問いには、英米ともに「悪い」と答えた人が60%超に上り、「良い」とした人は20%以下だった。
ユーガブは日米両政府がオバマ米大統領の広島訪問を発表した後の5月16~17日、英国の約1700人を対象に調査した。
 
※英国と米国は同じ穴の狢、そもそも、チャーチルこそ大東亜戦争の仕掛け人
大東亜戦争は白人による
黄色人種への人種差別から始まった
白人達よ、白人は今、「人権」、「人権」と大声で叫んでいるが、
大東亜戦争の責任を大日本帝国だけに押し付けたまま、戦争原因を考えた事があるのか? 大東亜戦争を全く反省していない白人国家は人権を語るな! 白人国家は本来、人権を語る資格すら無い!
不可解な記事
2016・5・12 毎日新聞 砂間裕之
<ボース墜落死>直前に操縦交代 元整備兵が証言
「記事抜粋」
終戦直後に台湾で日本陸軍機が墜落し、インドの独立闘争指導者、スバス・チャンドラ・ボースが死亡した事故で、ボースらとともに陸軍機に搭乗していた元整備兵が毎日新聞の取材に初めて事故前後の詳細な経緯を語った。
インドでは「生き残ってソ連に亡命した」などのボース生存説が根強く、謎の事故とされてきたが、元整備兵は操縦士が離陸直前に急きょ代わったことなど新たな事実を証言した。
元整備兵は、長野県松本市の野田正利さん(96)。
事故で腰や背などに重傷を負ったが、一命を取りとめた。
日本政府が連合国軍総司令部(GHQ)に提出した外交文書などによると、陸軍機は両翼にプロペラがある97式重爆撃機。
1945(昭和20)年8月17日にベトナム・サイゴン(現ホーチミン)を出発し、ツーラン(現ダナン)で1泊後、18日に台湾経由で満州・大連に向かう計画だった。
旧ソ連亡命を希望したボースら計14人が搭乗していたとみられる。
18日午後、台北の松山飛行場を離陸直後に左側のプロペラが折れ、エンジンも落下。
墜落して炎上した。
野田さんの証言によると、爆撃機はシンガポールの陸軍第3航空軍の所属機で、野田さんらが整備を担当していた。
松山飛行場での離陸前点検では異常はなかった。
ただ、台湾までは第3航空軍の准尉が操縦したが、離陸直前に「搭乗していた上官の一人が『俺が操縦する』と言って代わった」という。
中略
  ◇生存者の話に驚き
約40年前に事故を取材したノンフィクション作家、柳田邦男さんの話 操縦士の交代に問題はないが、その技量が問題だ。
事故機は積載重量を超えていた可能性が高く、エンジンの回転数を限界以上に上げたため、プロペラに負担がかかり、折れたのだろう。
私の取材では、飛行中の異常振動の証言があったが、簡易なエンジンテストや目視検査で不具合を見つけるのは難しい。
いずれにしても、70年以上たって生存者の話が出てきたことに驚いた。
正式な調査はなかったので、貴重な証言だ。
 
※毎日新聞の報道に何か意図を感じるのだが・・・
沖縄反日左翼よ、史実を学べ!
2016・5・11 ZAKZAKby夕刊フジ (1/2ページ) 兼次映利加
【沖縄リポート】沖縄を守るため「大和」に代わり米軍にダメージ 12機168人の「義烈空挺隊」

「記事抜粋」
世界各地でテロや紛争が続くなか、「日本は平和だ」と感じる人も多いだろう。
実は、毎日のように他国に領海や領空を侵犯されているのだが、一般の人々の耳目にはあまり入らない。
先の大戦では、沖縄を守るため、日本を守るために、多くの先人が命をささげた。
沖縄戦の最中、熊本市の健軍飛行場を飛び立った12機168人の「義烈空挺隊」も、その1つだ。
1945年3月26日に始まった米軍の沖縄上陸後、4月7日には支援物資を満載した「戦艦大和」が撃沈された。
大和が沖縄にたどり着けなかったため、「沖縄は本土に見捨てられた、捨て石になった」と嘆く県民もいるが、事実は違う。
沖縄を救援するため、米軍制圧下の読谷(よみたん)飛行場に強行着陸し、米軍に大きなダメージを与えて玉砕したのが、義烈空挺隊だ。
毎年、同隊の慰霊祭を行っている全日本空挺同志会沖縄支部の濱田種夫氏は次のように語った。
中略
資料によると、山城准尉は結婚していて、2歳のまな娘がいたという。
戦ったすべての人に、失いたくないものがあり、輝ける人生があった。
濱田氏は「慰霊はあくまで御霊安かれと祈り、慰めることです。
私は彼らを心から尊敬していますし、意思を受け継いでいきたい。
同時に、後世にも語り継いでいきたい」と語った。
沖縄戦では、軍民合わせて20万人もの戦没者を出した。
こうした悲劇を二度と繰り返してはならない。
義烈空挺隊や特攻隊、鉄血勤皇隊、ひめゆり学徒隊、白梅学徒隊などの歴史を振り返りながら、彼らの魂は「国防の危機」から目を閉ざしているような、日本の現状をどう見るだろうかと思った。
 
※日本人は決して同胞を見捨てたりはし無い。
アメリカが嘘に注目
2016・5・4 ZAKZAKby夕刊フジ 共同
伝説の“硫黄島の星条旗”写真 米兵は別人だった? 米海兵隊が調査開始
「記事内容」
太平洋戦争の激戦地、硫黄島の摺鉢山に米兵6人が星条旗を立てる瞬間を撮影した有名な写真に写っている米兵の一部が、これまで特定されていた人物とは異なる可能性があるとして、米海兵隊が調査を開始した。
AP通信が3日報じた。
写真はAPのカメラマンだったローゼンソール氏が1945年2月に撮影。
歴史に残る瞬間を捉えたとしてピュリツァー賞を受賞し、海兵隊の戦争記念碑のモデルになった。6人のうちフランクリン・スースリー氏ら3人は硫黄島で戦死、ジョン・ブラッドリー氏を含む3人は国威発揚のため米国内を遊説した。
しかし、アマチュア歴史家が別の写真の服装から調べた結果、ブラッドリー氏だとみられていた人物はスースリー氏の可能性があると指摘。
スースリー氏と特定された人物も別人だと分析し、本格的調査につながった。
 
※産経よ、日米戦・硫黄島の戦いは太平洋戦争では無い。
日本の史実に太平洋戦争は無い。
満州事変以降、終戦まで全て大東亜戦争(大日本帝国内閣・閣議決定)である。
何時までアメリカのプロパガンダを採用するのか? 日本の新聞社は史実を元に記事を書け! 
アメリカは歴史の見直しを始めたのか? 70年過ぎ、そろそろ日本の史実を認め、敵国条項を削除しろ! 
演説は勝者のやる事
2016・4・27 産経ニュース (1/2ページ) 【オバマ氏の広島訪問】
「反対しないが演説はすべきではない」 笹川平和財団米国研究員のジェフリー・ホーナン氏に聞く
「記事抜粋」
オバマ米大統領の広島訪問に反対しない。
もし訪れれば、日米同盟にとって良い象徴的な意思表示になるからだ。
しかし、オバマ氏が(原爆投下への)謝罪をしようとしているとか、米国の核政策を変更しようとしているというように受け止められるなら間違いだ。
死者を追悼するために献花するだけというのが理想的な訪問の仕方だろう。
2009年の「プラハ演説」と同じような演説をすべきだとは思わない。
プラハ演説と広島訪問を本立ての両側とすることで、核兵器に関するオバマ氏の見方について一貫性は示せる。
もし演説をすれば、間違って解釈される恐れがある。
人々は「何を言うべきだった」「何を言わなかった」ということに注目し、非常に政治的な問題になってしまう。
日米同盟が強固であることを示すには、簡素な意思表示の仕方にすることが重要になる。
中略
米国人の大多数は原爆投下が戦争終結を早めたと評価しており、オバマ氏が謝罪すれば問題が生じる。
今年は米大統領選の年でもあり、(共和党候補指名を争う不動産王)トランプ氏が選挙戦の中で日本やオバマ氏について何かを発言すれば、すぐに政治問題化し、同盟の強さを損なうことになる。(談)
     ◇
日米同盟など北東アジアの安全保障問題を研究。41歳。
 
※まさか? 外務官僚の発案! 誰の起案か知らないが、広島・平和記念公園でアメリカ大統領が演説! これを決してさせてはならない
演説内容がどうあれ、
間違いなく戦勝国の演説日本人としては再び屈辱を味わう事になる。
この男もやはりアメリカ人、発想がアメリカ人、アメリカ人の思いだけしか図れ無い。
アメリカ人が本当に、
日米同盟をより強固なものにしたいのであれば、「論より証拠」 アメリカが作った「国連の敵国条項」を削除すればいい。
笹川財団から銭を受け取り、何を研究しているのか? 少しは史実を学ばせ
日本に役立つ研究をさせろよ! 笹川さん。
嘘つきで馬鹿な歴史捏造国家・韓国の本領発揮
2016・4・27 産経ニュース (1/2ページ) ソウル=名村隆寛 【オバマ氏の広島訪問】
「加害国・日本が被害者になる」 反発の韓国メディア、自らの歴史認識にこじつけ? 「日本の首相は真珠湾を訪れ謝罪したことがない…」
「記事抜粋」
オバマ米大統領が5月末に広島を訪問する見通しとなったことに関し、韓国メディアの多くは、ケリー米国務長官が今月11日に広島を訪問した前後から「太平洋戦争を起こした“加害者”である日本を“被害者”に変えてしまう」と反発しており、オバマ氏の訪問を問題視し続けている。
韓国紙、中央日報は12日付の社説で、「東アジア全体の目で見れば、米大統領が今、広島に行くのは時期尚早だ」と断じた。
その理由として、「日本は韓国や中国などの被害国から完全に許しを受けたわけではない」とし、日本の韓国などへの謝罪が、広島訪問の前提であると主張。
「訪問が実現しても、日本の蛮行に対する免罪符ではないことを、米国は明確にしなければならない」と要求した。
中略
同紙は25日付でも、「ドイツとは違って、日本は周辺国を納得させられるほど歴史問題について十分に反省していない。
日本の首相はハワイの真珠湾を訪れ謝罪したことがない。
日中戦争中に起きた南京大虐殺についても、被害者数を少なく見せようとしている」とし、韓国が主張する歴史認識と広島訪問を強引に結びつけた。
韓国政府は、オバマ氏の広島訪問が発表されていないため、公式な見解は明らかにしていない。
 
※韓国が何を言おうが、大東亜戦争中に大韓民国など地球上に存在しない
大日本帝国は大東亜戦争に於いてアメリカに降伏するまで、
朝鮮人は皆、朝鮮系日本人として扱われていた
日本人は当時、
朝鮮人の卑劣さと残虐性を見抜いており、相応に扱っていた
戦争犯罪を隠し続ける愚で卑劣なアメリカ人の姿
2016・4・27 産経ニュース ワシントン=加納宏幸 【オバマ氏の広島訪問】
「未来に目を」と米主要メディア支持 謝罪警戒の声も「本土上陸は原爆より多くの死者がでたはずだ」
「記事抜粋」
オバマ米大統領は主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)出席に合わせて広島を訪問する見通しだ。
史上初めて原爆を投下した米国の現職大統領として被爆地を初訪問し、「核兵器なき世界」を訴えるのが狙いだが、米国内では議論が分かれている。
主要メディアが支持する一方、原爆投下が戦争終結を早めたという正当化論の観点から慎重な意見も根強い。
オバマ政権で昨年まで外交方針の策定に当たったシャーマン前国務次官(政治担当)は最近、米CNNテレビのサイトに寄せた論評記事で「謝罪のためではなく、未来に目を向けるため過去を認めようとしている姿勢を地域の同盟国に示すことが米国の利益につながる」として、オバマ氏に広島訪問を求めた。
中略
ただ、米国内の原爆投下正当化論は世代によって弱まっていることが、米調査機関ピュー・リサーチ・センターが昨年実施した調査で分かっている。
全体では米国人の56%が広島、長崎への原爆投下を「正当化できる」と答え、65歳以上では70%に上ったが、18~29歳では47%だった。
シャーマン氏は「数年もすると米国人の過半数が(原爆投下は)間違いだったと信じるようになる」との見方を示している。
 
※原爆投下はあらゆる角度から検証して、アメリカに正義は全く無い
オバマは
靖国神社にも参拝し英霊に敬意を払うべき、日本人はシナ人と朝鮮人とは違い決して謝罪を要求し無い
アメリカ人よ、何時まで嘘を吐き続けるのか? 嘘を吐き続けるのも辛いだろう。
戦争犯罪、問われるべきはアメリカ
2016・4・26 産経ニュース 共同
オバマ氏広島訪問へ「国益にかなう」と前国務次官が決断促す「原爆の残虐性否定できない」とも
「記事内容」
オバマ米政権でイランとの核交渉を担当したウェンディ・シャーマン前国務次官は25日までにCNNテレビ(電子版)で、オバマ大統領の広島訪問について「過去を認めて未来を見据える姿勢を地域の同盟国に示すことが米国の国益にかなう」と決断を呼び掛けた。
シャーマン氏は、原爆投下により終戦が早まったとしながらも「多くの人々を殺害した原爆の残虐性は否定できない」と指摘。
オバマ氏は被爆地で「謝罪のためではなく、戦争を繰り返さないことの重要性を問うべきだ」と述べた。
また、従軍慰安婦問題での日韓合意で、広島訪問を巡るオバマ氏の決断は容易になるとの見方を示した。
 
※アメリカよ、日本人はアメリカの原爆投下に謝罪を要求しない
その代わり、
嘘で塗り固めた歴史観を変えよ! そして、国連の敵国条項を削除しろ! この二点を遂行すれば日本人はアメリカの蛮行を許す
しかし、
人類の歴史からアメリカの蛮行が決して消える事は無い
何を思うか?原爆による大虐殺
2016・4・23 産経ニュース (1/2ページ) ワシントン=加納宏幸
オバマ米大統領が広島訪問へ 現職初 5月27日が有力
「記事抜粋」
オバマ米大統領が5月26、27日に開かれる主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)で日本を訪問するのに合わせて、広島を訪れる見通しとなった。
現職の米大統領として初めて被爆地を訪問することで、就任以来、オバマ氏が主張し、2009年のノーベル平和賞受賞の理由となった「核兵器なき世界」を訴える狙いがある。
複数の関係者が明らかにした。
広島への訪問はサミット閉幕後の5月27日が有力視されている。
現地に数時間程度滞在し、平和記念公園での献花や09年に世界に核軍縮を呼びかけた「プラハ演説」のような演説を行うことも検討されている。
中略
大戦中の1942年にフィリピンで起き、米兵捕虜らが死亡した「バターン死の行進」の生存者らで作る団体はオバマ氏に、日本で死亡した米兵捕虜に対する心からの追悼をするまでは広島訪問を控えるよう求める書簡を送った。
米大統領選で共和党側からの批判を招く可能性もあることから、オバマ氏は広島訪問や演説などが日本への「謝罪」と受け止められないよう慎重に検討しているものとみられる。
 
※アメリカ人よいい加減にしろ! 「バターン死の行進」は嘘素晴らしい大日本帝国を悪い酷い国にするためにマッカーサーと蒋介石が仕掛けた嘘「マニラの10万人大虐殺」も嘘、マニラの大虐殺はアメリカ軍の攻撃によるものである。
アメリカ人もシナ人、韓国人(朝鮮人)同様、大嘘つきである。
日本人としてオバマ・広島訪問は感謝どころか余り嬉しくも無い。
広島に行くなら長崎も行け! 
アメリカは日本に対して未だ、やる事が山程あるだろうに・・・
2016・4 IRONNA 重要記事
「侵略」だなんて

「記事抜粋」
中国はことあるごとに、「侵略戦争」を発動した日本という〝歴史問題〟を持ち出して、日本を国際社会における「永遠の罪人」に仕立て上げようとする―。
これは『日中戦争の「不都合な真実」』(北村稔・林思雲 PHP文庫)からの引用だが、この一書を読めば、事柄の大筋と本質がよくわかる。
  立林昭彦の視点  単純な話ではない  支那が乱した満州の平和  ケント・ギルバートが斬る  
  テロに脅える習近平  秦国「連衡策」に学ぶ中国の戦略  いかにして誘導されたのか
  Q : 中国によるチベット族・ウイグル族への弾圧は「侵略」であると思いますか?
2016・4・21現在  侵略だと思う 2,623  侵略だとは思わない 68  分からない 22
 
※侵略だとは思わないにカウントした人々はシナ人なのか? 
日中戦争と記述すること自体に無理がある。
シナはシナでしか無く、この呼称も日本人の過ちである

大東亜戦争は日清戦争後、
日本が教育し育てたシナ人が日本人の心を弄んだ結果である。
2016・4・11 産経ニュース (1/4ページ) 文化部編集委員 喜多由浩 【満州文化物語(21)】 必読記事 
月俸600万円の研究者も! 高給ぞろいだった満鉄嘱託
「記事抜粋」
哈爾濱(ハルビン)学院の25期生(昭和19年入学)で戦後、日ソ東欧貿易会ソ連課長やモスクワ大学客員教授を務めた神代喜雄(くましろよしお)(89)は、奉天(現中国・瀋陽)の千代田小学校の出身だ。
同小の前身は、満鉄がつくった満洲教育専門学校の付属小学校。
実験的なエリート教育、特殊教育を実践したユニークな学校として知られている。
神代の先輩には、亜細亜大学学長を務めた衛藤瀋吉(えとうしんきち)や作家の安部公房、日銀総裁の三重野康(やすし)、東武百貨店社長の山中●(=金へんに貫)(かん)ら、錚々たる顔ぶれがいた。
  月棒は600万円  校風は「リベラル」  
中略
それでも、戦争一色でどんどんモノが消えていった内地に比べると、ハルビンはまだ「天国」である。
神代らは3食、白米のご飯を腹いっぱい食べ、ロシア語漬けの授業を終えた後は繁華街に繰り出し、真っ赤な顔で夜の点呼にギリギリ滑り込む毎日だった。
彼らが学院に身につけた専門性と人脈は戦後も生き続ける。
日ソ東欧貿易会ソ連課長の職に就いた神代はシベリア抑留などから帰国した同窓生らを商社などに紹介する役割を担う。
そして神代自身もずっとロシア・ソ連に関わり続けた。=敬称略、隔週掲載
 
※日本共産化計画(コミンテルン主導)は大東亜戦争以前に始まっており、日本共産化計画は今尚、シナ共産党主導で進められているのである。
日本人はグローバ化(世界共産主義))も共産主義(地域共産主義)も同じであることを知るべきである。
嘘つき安倍総理もグローバリストである。
今尚続く大東亜戦争
2016・4・3 産経ニュース 伊藤弘一郎 (1/4ページ)
ニューカレドニアで沈没の旧日本軍潜水艦乗組員追悼 粉骨砕身の遺族捜し「ともに慰霊したい」 戦友会減少、個人情報の壁も
「記事内容抜粋」
戦後71年を迎え、戦友会の減少や「個人情報」の壁により、遺族捜しが難しさを増している。
沈没した旧日本軍潜水艦の乗組員を追悼する墓碑が平成25年、仏領ニューカレドニアに建立された。
式典に日本からの列席者がいないことに危機感を抱いた男性が今夏、遺族とともに慰霊の旅を計画。
遺族は1組しか見つからないが、男性は多くの遺族とともに鎮魂の祈りをささげたいと願っている。
男性は東京都日野市に住む無職、平光正則さん(85)。
約30年前、マラソンを通じてニューカレドニアの市民団体と関わりを持ち、それぞれの大会にランナーを派遣するなど交流を深めた。
25年夏、現地の名誉領事の招きで、昭和18年にニューカレドニアの中心都市・ヌーメア沖で撃沈された「伊号第17潜水艦(伊17)」の乗組員を追悼する墓碑の除幕式へ出席した。
中略
沈没した艦の場合、戦友会自体が組織されないケースも多い。
平光さんが把握できた遺族は現在、稲沢さんだけという。
  「当時の敵が日本を激励し、弔っていることを、多くの日本人は知らない。せめてご遺族に現地の今の様子を伝え、ともに慰霊したい」。
平光さんはこの思いを胸に、今後も遺族を捜し続ける。
 
日本政府は「個人情報保護」を楯に外地で散った大日本帝国軍兵士を見捨てるのか? 日本政府が持つ当時の情報は全て開示すべきだろう。
当時、
麻薬で一儲けした輩の名も出るに違いないのだが・・・
朝鮮人・帝国軍人
2016・3・29 ユーチューブ 
2016/3/29【村田春樹 氏】ダマレれ!韓国「平成の大演説会」Vol.17
「コメント」
【主催】「平成の大演説会」実行委員会(代表:阿部健一)
【登壇者】長浜浩明(『韓国人は何処から来たか』著者)
【登壇者】村田春樹(維新政党・新風)
【日時】平成28年3月29日(火曜日)19時開会(開場18:30)
【会場】文京シビックセンター・小ホール(文京区春日1-16-21
 
※韓国朝鮮人よ、素晴らしい朝鮮人帝国軍人は今も語り継がれ、日本人が讃えている。
この事実を知っているのか?
満州鉄道
2016・3・27 産経ニュース (1/3ページ) 喜多由浩 【満鉄会、解散へ】
70年の歴史に幕 日中「奇跡のリレー」で戻った社員簿15万人
「記事内容抜粋」
戦前・戦中、日本の満州経営の中核となった国策会社「満鉄(南満州鉄道)」の元社員や家族で作る「満鉄会」(松岡満寿男理事長、約700人)が会員の高齢化のため、今月限りで70年の歴史に幕を下ろす。
会が所有する約3000点の資料は国立国会図書館などへ引き継がれるが、その中には“日中の奇跡のリレー”で帰国を果たした約15万人の日本人社員簿もあった。
満鉄会は昭和21年12月、満鉄社友新生会として発足。
名称を変えながら(最後は満鉄会情報センター)、元社員・家族の更生や親睦、資料の保全、顕彰、広報活動を続けてきた。
40年代に1万数千人を誇った会員も現在では約半数が2世会員。
財政的にも会の維持が難しくなり、今月末での解散を決めた。
中略
磯部荀子副理事長(88)は数少ない元社員。
19年4月、新京(同・長春)の高女を出て同地の運輸局総務課に配属された。
「社員用の無料パスがうれしくて大連やハルビンにまで買い物へ出掛けた。
ダイヤ改正を徹夜で手伝い、100円のボーナス(現価で約20万円)をもらったことが忘れられない」と懐かしむ。
満鉄会は今後、ホームページを維持しつつ、当面、天野専務理事が一部業務を続ける予定。
 
※満洲在住の誇りと、いい思い出と、悪い思い出もあるだろうが、次の世代に語り継がねばならない日本の誇りある歴史の一ページである。
これも終戦の区切りの一部であろう。
ご苦労様でした。
満洲国
2016・3・27 産経ニュース (1/6ページ) 文化部編集委員 喜多由浩 【満州文化物語(20)】
李香蘭主演映画の舞台ハルビン- 欧州とアジア、ユダヤの計7民族が混在 軍人、芸術家、スパイが交錯して…
「記事内容抜粋」
李香蘭主演の映画『私の鶯(うぐいす)』(昭和18=1943年、東宝・満映、大佛(おさらぎ)次郎原作、島津保次郎監督)は不思議な作品である。
舞台は、満州・ハルビン。
実の父親と生き別れになった日本人の少女(李香蘭)が、ロシア革命(1917年)から逃れてきた元ロシア帝室劇場歌手に育てられるというストーリー。
セリフは、基本的にロシア語(日本語字幕)だ。
見どころは、異国情緒満載のハルビンの様子だろう。
スンガリー(松花江)をゆく外輪船、そびえ立つロシア正教会の尖塔(せんとう)、きらびやかなドレスで着飾って劇場へ行くロシア婦人…。
映画には本物の白系ロシア人(革命で社会主義化したソ連を嫌って国を出たロシア人)の一流歌手が出演し、演奏は名門のハルビン交響楽団が担当している。
キャスト・スタッフとも錚々(そうそう)たる顔ぶれによる音楽映画の大作だが、内容を含めて、およそ戦時下には似つかわしくない
なぜこの映画が作られたのか?
  40年ぶりの再上映会  欧亜をつなぐ「扉」  オトポール事件の背景  
中略
当時、ユダヤ人コミュニティーは“安住の地”として満州を想定し、ハルビンでは3度にわたり極東ユダヤ人会議が開催されている。
日本の一部にも、ユダヤ人を受け入れることでアメリカなどのユダヤ資本導入や対米戦争忌避につなげる「青写真」を描く勢力があったが、結局、日本は日独伊三国同盟(1940年)に舵(かじ)を切り、構想は霧散してしまう。
ハルビン一の格式を誇るユダヤ資本の「モデルン」ホテルでは当時、日本とユダヤをつなぐ多くの会合が開かれている。
併設された劇場は、ハルビンを訪れた世界のアーティストがけんを競ったステージだ。
混沌の中にきらびやかな花を咲かせたハルビンを象徴するその名前は『私の鶯』にも登場している。
 
※この映画は私が子供の頃、父が満州に出兵したせいか、両親が時折、満洲を話題にしていた
大げさだろうが、冬の寒さを誇張し小便がツララになると話していた事を想い出す。(真偽不明)
李香蘭は満州国(西洋文化花盛り)の宣伝映画だろう。
米英は戦前、大日本帝国の
満洲国や台湾、朝鮮半島、パラオ等東南アジア諸国の統治を見て、大日本帝国の統治能力の高さや大和民族の教育水準の高さ、民度の高さに脅威を感じていたに違いない。
大日本帝国と米英の
格差が第東亜戦争へと繋がったのであろう。
悔しいが、大日本帝国は第東亜戦争でアメリカだけに敗れただけである。
そして、
米支が嘘で日本の歴史を歪めたのだが、反日左翼と反日日本人、米、支が今尚、日本の素晴らしい史実を歪めようと懸命である。
2016・3・10 産経ニュース 
海老名香葉子さん主催の「東京大空襲犠牲者追悼」 漫画家ちばてつやさんも参列 上野で開催
「記事内容抜粋」
約10万人が犠牲になったとされる昭和20年3月10日の東京大空襲から71年となるのを前に、東京都台東区の上野公園で9日、戦争の悲惨さや平和の大切さを伝える「時忘れじの集い」が開かれた。
落語家の初代林家三平さんの妻で、大空襲で両親ら家族6人を失った海老名香葉子さん(82)が主催。
平成17年から毎年開かれ、12回目となったこの日は雨の中、約1200人が参加した。
慰霊碑「哀しみの東京大空襲」前の供養式で、海老名さんは「世界中の子供たちが手を取り合って暮らせるよう、戦争のむごさを命のある限り伝えていきたい」と語った。
参列した漫画家のちばてつやさん(77)は「私も中国からの引き揚げ者で、同じく死線をくぐってきた。戦争体験を慰霊の場で伝えていきたい」と話し、手を合わせた。
 
※アメリカ軍の大空襲は東京だけでは無い。
日時を決めて全国規模で慰霊祭を行うベキ、日本人はアメリカが嘘で固めた日本の歴史に立ち向かう必要がある。

世界に大東亜戦争の史実を・・・
2016・3・6 産経ニュース (1/2ページ) 悟空出版第一編集部 編集長 河野浩一 【編集者のおすすめ】 
邦人を守った上海の激戦 『日中戦争は中国の侵略で始まった』阿羅健一著
「記事内容抜粋」
知多半島の突端近くに中之院という小さな寺がある。
そこに約50体の兵士の石像が静かにたたずんでいる。
第二次上海事変で邦人の命を守るために、若くして戦死した若者たちの像である。
昭和12(1937)年8月13日、在留邦人3万人が逃げ込んだ上海の「日本租界」に、約5万人の中国軍精鋭部隊が、協定を破って突如襲いかかってきた。
守るはたった4千人の海軍特別陸戦隊。
そこから3カ月に及ぶ大激戦が始まったが、日本軍は4万人以上の死傷者を出しながらも租界を守り切り、潰走する中国軍を追って南京へと向かった。
近現代史研究家の阿羅健一氏は、この上海での激戦をつぶさに検証。
ドイツ軍事顧問団の働きを解明し、実は日中戦争を望んだのが中国側だったこと、そして日本の反撃戦として南京攻略戦があったことを明らかにしていく。
中略
阿羅氏は言う。
「日本人は第二次上海事変がいかに起きたかを再確認し、日中戦争が決して日本の侵略戦争だったわけではないという事実を胸に、歴史捏造(ねつぞう)を繰り返す中国に正対すべきである」と。
本書は、すべての日本人に知ってほしい祖父たちの過酷な戦いの記録である。(悟空出版・920円+税)
 
※次第に明かされて行く大東亜戦争
2016・3・ 産経ニュース (1/2ページ)
ミャンマー山岳地帯の戦死者遺骨、10柱返還 紛争地域から39年ぶり
「記事内容抜粋」
先の大戦のインパール作戦で多数の戦死者が出たミャンマー北西部の山岳地帯で収集された遺骨10柱が4日、戦後71年の歳月を経て祖国に戻った。
ミャンマーでは政府側と少数民族の間で長く内戦が続いており、紛争地域からの遺骨返還は39年ぶり。
埋葬地の調査を行う民間団体「ミャンマー/ビルマご遺骨帰國運動」のメンバーで、現地で活動する僧侶、井本勝幸氏(51)は「念願の帰国を果たし感無量だ。これからも日本人として美しい仕事をしたい」と語った。
返還された10柱は、ミャンマー北部チン州に住む部族から寄せられた情報をもとに、井本氏らが同州とザガイン管区の山岳地帯を調査し発見した。
中略
井本氏によると、現地は標高2千~3千メートル級の山が連なる山岳地帯。
少数民族側から「ミャンマーの和平に向けて尽力してくれた日本に恩返ししたい」と申し出があり、協力して地域の聞き取り調査や埋葬地の特定などを進めてきた。
井本氏は「これまでの調査で約150カ所の埋葬地が特定できた。当時を知る人が高齢化しており、いまだ紛争中で入れない地域もある。この10年が最後のチャンス」として今後も調査を継続する。
 
※大日本帝国皇軍兵の皆さん、お帰りなさい。
安らかにお眠りください。
遺骨収集に当たられた皆さん、お疲れ様でした。
2016・3 IRONNA
「侵略」だなんて
「記事内容抜粋」
中国はことあるごとに、「侵略戦争」を発動した日本という〝歴史問題〟を持ち出して、日本を国際社会における「永遠の罪人」に仕立て上げようとする―。
これは『日中戦争の「不都合な真実」』(北村稔・林思雲 PHP文庫)からの引用だが、この一書を読めば、事柄の大筋と本質がよくわかる。
  立林昭彦の視点  単純な話ではない  支那が乱した満州の平和  ケント・ギルバートが斬る
  テロに脅える習近平  秦国「連衡策」に学ぶ中国の戦略  いかにして誘導されたのか  
  Q : 中国によるチベット族・ウイグル族への弾圧は「侵略」であると思いますか?
2016・3・2 現在  侵略だと思う 1,834  侵略だと思わない 54  分からない 13
 
※大日本帝国はアメリカに唆された蒋介石に裏切られた結果、シナ事変へと発展したのであるが、常にシナ人が先に攻撃を仕掛けている。
シナは歴史捏造国家である。
アメリカもだが・・・アメリカは過去、世界に何かいい事をしたのか?
2016・2・28 ZAKZAKby夕刊フジ (1/2ページ) 仲新城誠
【沖縄が危ない】17歳の特攻隊員を忘れない 再び沖縄に迫る脅威に断固立ち向かう決意を
「記事内容抜粋」
     ★(5)
太平洋を望む沖縄県・石垣島の埋め立て地に、沖縄戦で石垣島から出撃した特攻隊「誠第十七飛行隊」の顕彰碑がある。
隊員は10人。
島出身の隊長、伊舍堂用久(いしゃどう・ようきゅう)大尉(=特攻後、中佐に昇進)をはじめ全員が戦死した。
最年少は17歳で、鹿児島県出身の有馬達郎兵長(=同、少尉に昇進)ら2人である。
石垣島に滞在当時の有馬兵長に、面白いエピソードが残っている。
住民が豆腐を作ろうと、大豆をひき臼でひいていると、通りかかった有馬兵長が興味深そうに近づき「豆腐のおこげが食べたい」と言い出した。
豆腐を鍋で熱したあと、鍋にこびりついている「おこげ」である。
彼の郷里では「おこげ」を食べる習慣があるという。
中略
今、改めて世人の特攻隊への無関心さを感じる。
「切ない」と漏らす。
彼らの犠牲を礎として、現在の平和と繁栄がある。
その思いに応えるには、まず彼らを忘れないことだ。
石垣島を訪れる機会があれば、ぜひ特攻隊の顕彰碑に手を合わせてほしい。
この平和と繁栄を次世代に引き継ぐのは、彼らと現在の世代が交わした約束である。
特攻隊が石垣島から飛び立って71年。
再び沖縄に迫る脅威に、断固立ち向かう決意を本土と沖縄で共有したい。
 
※日本人よ、特攻隊員の尊い志を忘れる事勿れ
終戦・玉音放送後のタイの日本兵
2016・2・23 ユーチューブ 
【KSM】タイ人は素敵な人たちです 天皇陛下の終戦の発表と日本兵の自決 タイ・メーホンソン県ムアン郡フォイポン村の記録
「コメント」
ナシ
 
タイの人々へ、お墓を守ってくれてありがとう。
2016・2・23 ユーチューブ 重要動画 必見 
第9回 加瀬英明×堤 堯「つつみかくさず」 ~我々が本気で話す日本の裏舞台~
「コメント」
加瀬英明=外交評論家、堤堯=ジャーナリスト・元文藝春秋編集長 戦後日本をたどる秘話を語りつくすふたり。
第9回テーマ・・・日米戦争を起こしたのは誰か?
【2016年2月23日(火)16:00〜17:00】
 
※日米戦は米国が仕掛けた舞台裏
2016・2・20 産経ニュース ロンドン=岡部伸
印独立運動家チャンドラ・ボースの「ソ連亡命」を日本が終戦直前に容認 
「記事内容抜粋」
第二次大戦中、日本の支援を受けて英国軍と戦い、終戦直後に台湾で事故死したとされるインド独立運動の英雄、スバス・チャンドラ・ボースに対し、日本が終戦のわずか3カ月前に、ソ連に亡命することを認めていた事実が最新の研究で明らかになった。戦局が敗色濃厚となる中、日本は反英独立闘争の継続を呼びかけるボースの意思を尊重して決断したものとみられる。
ボースの弟サラの孫息子である在英インド系英国人で、英BBC記者や米CNNインド特派員を務めたアシス・レイ氏(64)が25年間、インドや英国、台湾などで関係者から聴取し、公文書館から機密文書を入手して判明した。
中略
磯田氏はボースに「最大限の支援」を約束、ボースが東京に行き、日本の支援に謝意を伝えた後、満州に渡ってソ連に投降する計画を立案。
陸軍のソ連通で、ビルマ方面軍参謀長から大連の関東軍総参謀副長に転出する四手井(しでい)綱正中将にボースを同行させてソ連と交渉させる予定だった。
しかし、日本軍機に乗ったボースは終戦3日後の8月18日、台北から離陸する直前、事故に遭い死亡したという。
一方、インドでは、ボースへの根強い人気から事故死を疑問視する声がある。
だが、ロシア外務省が調査した結果、ボースが45年以降、ソ連に入国、滞在していないことも判明した。
レイ氏は「日本がソ連亡命を認めたのは、独立闘争支援を優先させた日本の配慮の表れで、連絡担当だった磯田氏の功績が大きい。日本がインドの解放と独立のために戦ったことは間違いない」と話している。
2016・2・14 産経ニュース (1/4ページ) 文化部編集委員 喜多由浩 【満州文化物語(17)】 
満州国軍の日本人軍官…「軍再興」が幻に終わったのは-
「記事内容抜粋」
満州国軍(終戦時兵力15万)の将校を養成する軍官(士官)学校に在籍した日本人の秘話を今回も書く。
五族(日、満、漢、鮮、蒙)で構成された満州国軍だが、日本人は幹部のみ。新京(現中国・長春)に昭和14(1939)年、設立された軍官学校も日本人は独自の試験がなく、内地の陸軍予科士官学校などの志願者から選抜されていた。
しかも、日本人は満州で予科を終えた後、本科は全員が内地の陸士、経理学校、航空士官学校へと戻り、日本軍の幹部候補生とともに学ぶ。
この制度によって、多くの少年たちが思いもしなかった「満州(国軍)行き」を提示されながら、大陸へ渡る道を選んだ。
だが、満州国が13年で“うたかた”のように消えてしまったとき、運命と片付けるには残酷すぎるわずかな差によって、10代、20代の若者の生死が分けられてしまう。
  関東軍総司令官に直訴  発案者は建国大幹部?  「助かった者」の苦悩  
中略
再会と消息は、戦後約10年、軍官学校出身者による「蘭星(らんせい)会」の正式発足を待たねばならなかった。
6期生の金川は「同期でも満州に残った軍医・獣医生徒は多くが戦死している。私たちは、結果としてギリギリで命拾いした。申し訳ないとしか言えない」
ソ連参戦によって暗転した満州の戦争は、助かった者にも苦悩を背負わせることになる。
 
※こう言う混乱が戦後、残留日本兵がシナ共産党に協力した背景なのかも・・・
2016・1・31 産経ニュース (1/6ページ) 文化部編集委員 喜多由浩 【満州文化物語(16)】
日本「陸士」受験したが、満州国軍に 運命変えた“回し合格”…
「記事内容抜粋」
満州国は昭和7(1932)年3月の建国から、わずか13年で“うたかた”のごとく消えてしまう。
国の理念である五族(日、満、漢、鮮、蒙)で構成されていた満州国軍も、20年8月、ソ連軍(当時)の満州侵攻を知るや、満系(中国人=満、漢)、蒙系(モンゴル人)に反乱や逃亡が相次ぎ、空中分解した。
日本人の将校・軍官学校(士官学校)生徒のほとんどがシベリアに抑留され、辛酸をなめたことは、すでに書いた通りである。
  元韓国大統領も在籍  
その五族で構成されていた満州国軍の軍官学校はユニークな学校だった。
首都・新京(現中国・長春、日系=日本人と当時、日本統治下にあった朝鮮人=と満系が所属)と興安街(同ウランホト、蒙系)に2つあり、戦後、韓国の大統領になった朴正煕(パクチョンヒ、2期生)や満州国皇帝、溥儀(ふぎ)の弟、溥傑(ふけつ)も終戦間際、日本の陸軍大学校を経て予科生徒隊長(満州国軍中校=中佐)として在籍していた。
中略
入校の経緯も面白い。彼らは満州ではなく、内地の出身で、そもそも満州国軍に入るつもりなどなかった。
というよりも、日本人を対象にした満州国陸軍軍官学校採用試験は初めからなかったのである。
彼らは、日本の陸軍予科士官学校(経理学校を含む)受験者から推薦されていた。
“回し合格”というべき制度だが、陸士の合格点に達しなかった訳ではなく、優秀な人材の確保や共同作戦にあたる日本軍との一体化を図る狙いがあったとされる。
この制度は、戦後までほとんど知られることがなかった。
  何かの間違いだろう?  「日本は負ける」に反発  渡満8カ月で敗戦  
中略
実戦経験などまったくない彼らが突如、新京防衛の部隊に組み込まれ、敵の圧倒的兵力の前に「死」を覚悟する。
そして、なすす術もなく武装解除、シベリア抑留…同期生のうち、80人以上が祖国へ帰ることなく無念の死を遂げた。
21年夏に日本へ引き揚げた西川は、大叔父の内田と再会し、頭を下げるハメになった。
「おじさんの言う通りだった」と…。
 
大日本帝国は敗れたが、よく多くの資料が残っているものだ。
産経にも感謝。
2016・1・31 IRONNA
樺太とロシアの非道・残虐
「コメント」
世界で日本人ほど領土に淡白な国民はいない。
無法侵攻したソビエトロシアが樺太で行った非道な住民虐殺と洗脳工作。
シナ、朝鮮、ロシアという世界でも特異な国家にわが国は隣り合っていることを忘れることはできない。
  悪魔のソ連兵  独裁者スターリンの非道  プーチンを情緒的に見ることの過ち  プーチンを情緒的に見ることの過ち
  シベリア抑留、記憶遺産登録の意義は重い  国を守り操を守るために  不法占拠続く樺太・千島
  シベリア抑留の密約  
  Q : 南樺太・北千島が帰属未定地であることを知っていますか?
2016・1・31現在  知っている 58  知らない 31  どちらでもよい 3 
 
※日本はロシアと朝鮮半島、シナと言う世界で最悪の国々に囲まれている
しかし、台湾だけが救いである。
日本はそれぞれの国と国境を接し領土問題を抱える劣悪な環境下にある。
日本はロシアに対し、樺太と千島列島、北方四島の領有権を主張するのも選択肢の一つである。
二島返還などあり得ない。
ソ連から受けた仕打ちを忘れたのか? 
シベリア抑留で命を落した国民と樺太でソ連兵の蛮行で命を奪われた多くの国民、満州国境でソ連軍に立ち向かい日本国民を逃がした皇軍兵士、千島列島東端の占守島で戦い散った皇軍兵士等に
申し訳が立つのか? 領土は全て取り返せ!
ロシアは今、危機に陥っており、国が潰れる可能性すらある。
領土返還交渉は今すべきでは無い
ゼロ戦・日本の空に舞う
2016・1・27 産経ニュース
復元ゼロ戦、無事に飛行 鹿児島上空を22分間

元零戦パイロット「仲間は傾きゆく天を支える気持ちだった」鹿児島鹿屋市でテスト飛行、フェンス越しに歓声 (動画)
「記事内容抜粋」
太平洋戦争中、日本海軍の主力戦闘機だった零式艦上戦闘機(ゼロ戦)を復元した機体が27日午後、海上自衛隊鹿屋航空基地(鹿児島県鹿屋市)で試験飛行した。
フライトは6分、16分の2回計22分で、基地の上空を旋回しながら飛んだ。
機体は日本人が所有し、資格を持つ米国人が操縦した。
中略
飛んだ機体は1970年代、パプアニューギニアのジャングルで見つかり、修復された。
所有するニュージーランド在住の会社経営石塚政秀さん(54)は「日本の空を飛んでくれて、ありがとうという気持ちだ」と感無量の様子。
「日本人はこれまで短期間で技術革新を遂げてきた。ゼロ戦を通じて日本の技術力を多くの人に知ってほしい」と話した。
 
※日本の技術力・私の歴史遺産に認定、凄い事である。
よくぞ日本人の手に・・・大事に保管して頂きありがとう!
 感謝である。
日本政府が買い保管すればいい、反対する馬鹿もいるだろうが・・・
マッカーサー証言
2016・1・25 産経WEST (1/3ページ) 森靖喜 【現代を問う】 
日本は自衛のため戦った…主張変えたマッカーサー、証言の周知で戦後自虐教育の是正を
「記事内容抜粋」
新年を迎え、昭和20年の「大東亜戦争」(注1)の敗戦以後、6年余り日本を支配、統治し、明治・大正・昭和(戦前)の日本を「悪者国家」とし、あの戦争は日本の侵略戦争だったと決めつけた『米国占領軍総司令官・マッカーサー元帥』の1951年(昭和26年)5月3日、米国上院軍事・外交合同委員会での証言がマスコミ、学校教育で周知されることを期待している。
以下にマッカーサー証言を紹介する。
われわれは日本を包囲しました(注2)。
日本は8千万人という膨大な人口を抱え、4つ島にひしめいていました。
その半分が農業人口で、半分が工業生産に従事していました。
日本の擁する労働力は量的にも質的にも、私がこれまで接していたいずれにも劣らぬ優秀なものです。
と記事は続く
中略
このマッカーサー証言を、戦後の「自虐的歴史教育」「日本侵略国家論」「日本の伝統否定」「反皇室教育」を是正するために広く周知するべきである。
 
森靖喜(人格者)VS森喜朗(薄汚い政治家)、一方は元総理だが、森は森でも一字違うだけで人格がこれ程違うのである。
フィリピン
2016・1・24 岐阜新聞
フィリピンの悲劇伝える責務 岐阜市の園部さんが手記
「記事内容抜粋」
太平洋戦争当時、フィリピン・ミンダナオ島の旧日本陸軍第100師団で後方任務に当たった元曹長、園部熊男さん(96)=岐阜市加納西広江町=が先月、自身の体験を手記にまとめた。
戦後70年を経て戦争経験者が減り、書き残す責務を感じたためという。
26日から天皇、皇后両陛下の同国訪問を「亡くなった戦友を思うと、こんなありがたいことはない」と感慨深く受け止めている。
  「無残な姿に遭遇する。大木を背にハエを追う力もなく、既に仏様の姿である」
中略
歴代で初となる天皇、皇后両陛下の訪問には「日本人による被害を受けたフィリピンに陛下が行かれるのは有意義なことと思う」と話した。
B5判16ページの手記には、衣糧科の任務や師団の最後、捕虜生活を経て1945年11月に復員するまでを記述した。
厚生労働省によると、フィリピンでの日本人戦没者は約51万8千人。
フィリピン人の犠牲者は約110万人に上ったとされている。
 
※この御仁は自虐史観なのだろう。
フィリピン人が何故、大日本帝国軍の前に立たされたのか知っているのか? 卑怯にもアメリカ軍は植民地であるフィリピン人を最前線に投入した結果である。
大日本帝国は悪者では無い。
大日本帝国はフィリピン統治時代、フィリピン人を戦線に投入したのか? 
アメリカ軍のフィリピン上陸作戦は大日本帝国軍とアメリカ軍と戦い、大日本帝国は善戦空しく敗れただけだろう。
戦況を恨んでいるのか? 戦争は多くの不幸を生んだのは確かである。
己が最も不幸を経験したのか? 違うだろう。
フィリピンにもアメリカの嘘があるが、事実を何故、伝える努力をしなかったのか? 
大東亜戦争は戦争、当然、悲惨だったが、結果はアジアを解放した功績大、多くのアジアの国々から今尚、大日本帝国は感謝され続けている。
これは園部さんのお手柄ですよ。
日本人が日本を信じなくてどうる。
もう金輪際、
自虐史観を捨て、自信を持ち余生を楽に楽しく過ごして欲しいものである。
2016・1・23 ANNnewsCH
97歳元日本兵が思いを・・・両陛下来週フィリピンへ(16/01/23)
「記事内容抜粋」
天皇皇后両陛下は来週、フィリピンを訪問し、戦没者を慰霊されます。
太平洋戦争で亡くなった日本人の兵士は約240万人。
このうち、50万人以上が戦死したとされているのがフィリピンです。
かつて兵士として戦地に赴いた97歳の男性が両陛下への思いを語りました。
 
※流石、大日本帝国皇軍の軍人、帝国軍人の声をありがとう。
日本人の心を失っていない。
洗脳されたシナの帰還兵とは全く違い、
洗脳されていない証であろう。
もうゆっくりお過ごしください。
ミッドウェー海戦
2016・1・22 産経WEST (1/4ページ) 園田和洋 【歴史事件簿】
南太平洋海戦(下)「鉄がここまで燃えるものか」 壮絶な海空戦で米は空母全滅、日本はパイロットがいなくなる
「記事内容抜粋」
昭和17年10月、南太平洋上に浮かぶソロモン諸島の一角、ガダルカナル島を巡る日米両軍の攻防は2カ月半を経てもなお、し烈な戦いが続いていた。
飛行場の周囲を要塞化したアメリカ軍を攻略できない日本軍は陸上部隊の支援のため、4隻の空母からなる機動部隊を派遣する。
そして、26日未明に発見したアメリカ機動部隊に向けて艦載機は発進した。
だがアメリカも同時に日本の空母も発見していた。
ここにミッドウェー以来最大の日米機動部隊同士の戦いが始まった。
  奇襲受け、瑞鳳離脱  翔鶴被弾  ホーネットの最期  
中略
このあと搭乗員の補充に躍起になるが、未熟のまま戦場に送り込んだため、以降はまともな航空作戦が開できなくなったのだ。
ゼロ戦
2016・1・20 産経WEST (1/4ページ)  奥原慎平
戦後初 零戦、再び日本の空を舞う 「先人が築いた技術をみよ」 1月27日、鹿児島県鹿屋市
「記事内容抜粋」
零式艦上戦闘機(零戦)が今月27日、海上自衛隊鹿屋航空基地(鹿児島県鹿屋市)の上空を飛ぶ。
機体を所有するニュージーランド在住の日本人と、防衛省などの調整が終わったことが20日、わかった。
日本の空を零戦が舞うのは、戦後初めてで、関係者は「日本の繁栄を築いた先人の勤勉さと技術革新に、思いをはせるきっかけにしてほしい」と語った。
  飛行予定日は27日、周囲から見学を  トラブルから夢実現へ
  トラブルから夢実現へ
だが国内で零戦の実機飛行は前例がない。関係省庁との交渉は難航した。
しかも、安全保障関連法案の国会審議が進む中で、戦中を思い起こさせる零戦の飛行に、関係省庁の中には難色を示す担当者もいた。
安保法成立直後、機体の設計図や復元の課程を示す資料を全てそろえて国土交通省に飛行許可を申請した。
実機検査を11月末に終え、12月18日、1カ月以内を目安に飛ばすことを条件に、飛行許可が下りた。
基地上空の飛行も今月19日、鹿屋航空基地と調整を終えた。
石塚氏は「単に零戦が好きだからではない。
先人が作り上げ、終戦後、二十数年で世界2位の経済大国にのぼりつめた世界最先端の技術をみてほしい。
彼らの努力が、現在の日本の繁栄を築いたことを多くの日本人が気がつくきっかけにしたい」と語った。
ようやく公開飛行にこぎ着けたが、米国人パイロットと整備チームの滞在費や機体の送料などを考えると、まだ約2千万円が足りないといい、プロジェクトではスポンサーも募っている。
問い合わせは同プロジェクトウェブサイト ■零戦里帰りプロジェクト(外部サイト https://www.zero-sen.jp/) (
 
※ゼロ戦が飛行する雄姿を見たいものだ。
「関係省庁の中には難色」 
馬鹿な反日役人がいるものだ。
常に無駄使いばかりしている
外務省がこれくらい全額負担しろ! 
2016・1・16 ユーチューブ 天晴れ! 
アンビリバボーあっぱれ日本人!!凄いぞ日本人!!一部の国でブロックされました
「コメント」
ブルネイ・ダルサラーム王国
ブルネイを変えた日本人、戦前の行いが今の日本と良い関係を残した。
未来の日本に伝えたい出来事
日本人よ、史実を学べ 
2016・1 IRONNA 
五十六神話を捨てるとき
「記事内容抜粋」
「真珠湾奇襲」は戦術・戦略において本当に効果的だったのか。
ニイタカヤマノボレ、トラトラトラ……と聞くと我々はつい興奮してしまう。
まるで赤穂浪士たちが憎っくき吉良邸に討入りを果たした元禄の大事件が語り草になったように。
  立林昭彦の視点  真珠湾奇襲は穴だらけだった!  チャーチルは知っていた  いまだ概括できないヒストリー
  A2としては失敗だった  リーダーの統制がきかない日本の業病  日米開戦はすれ違いから始まった
  Q : 「真珠湾奇襲」は戦術・戦略において本当に効果的だったと思いますか?
2016・1・16現在  思う 32  思わない 139  どちらとも言えない 37
 
事実を知ると日米戦は避けられる可能性すらあるが、当時、世界で最も優れた海軍を有していた大日本帝国、コミンテルン(朝日新聞)の影響を強く受けており、大日本帝国中枢にもコミンテルンの姿があった。
情報戦に於いて劣っていた大日本帝国は残念な事だが、真珠湾攻撃前に敗北が決まっていたのである。
宣戦布告も
コミンテルンが関わりわざと遅らした可能性さえある。
日本大使の当時の行動も不可解であり、疑えば限がない。
日本外務省は当時、
外務省の不手際である汚点部分を全て消し去っている可能性がある。
2016・1・8 産経WEST (1/5ページ) 園田和洋 【歴史事件簿】
南太平洋海戦(中) 「頼むぞ」甲板から飛び立つ攻撃隊63機を見送る南雲中将 ガダルカナルの日米決戦いよいよ佳境に
「記事内容抜粋」
昭和17年10月、ソロモン諸島・ガダルカナル島のアメリカ軍ヘンダーソン航空基地をめぐり激しい争奪戦を展開する日米両軍。日本海軍は戦艦などの砲撃でダメージを与えるが、そのたびに回復し、攻撃機を繰り出すタフネスさに有効策を見いだせなかった。
そこで大規模な陸上戦で占領する以外にはないと、22日の陸軍第17軍の総攻撃の支援目的に空母5隻の機動部隊を派遣。そして島の近海を警戒中の、あの猛将率いるアメリカ機動部隊と全面対決の日を迎えた。
  ちくはぐな陸海連係  いらだつ日米両軍  米空母、発見  
中略
攻撃隊長は真珠湾攻撃以来、数々の戦いをくぐり抜けてきたベテランの村田重治少佐。
「頼むぞ」と帽子を降る艦の幕僚らに、コクピットから敬礼をして応える村田少佐の姿を南雲中将は最後まで見送った。
2016・1・6 ユーチューブ チャンネル桜 重要 
GHQ焚書図書開封 第99回
「コメント」
「GHQ焚書図書開封」は、過去放映分を隔週水曜日に公開していきます。
GHQ占領下、大東亜戦争を戦った日本人の物語を断ち切るかのように、7千冊以上の戦前・戦中の書物がGHQによって没収された。
理不尽な"焚書"に遭った­それらの図書を"開封"し、当時の日本の実相を読み解いていきます。
第99回:ドイツ人が見ていた太平洋の「戦争か平和か」1
出演:西尾幹二
 
大日本帝国の戦前の風景、政治情勢が語られている。